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【訃報】今敏さん死去

2010/08/25 留下评论

 2006年のベネチア国際映画祭に出品された映画「パプリカ」などで知られるアニメーション映画監督の今敏(こん・さとし)さんが24日午前6時20分、膵臓がんのため死去した。46歳。北海道出身。葬儀・告別式は親族のみで執り行う。喪主は妻京子(きょうこ)さん。

 武蔵野美術大に在学中の1985年、漫画家としてデビュー。90年ごろからアニメ映画の製作にかかわり、人情喜劇やサスペンス、ファンタジーなど幅広い作風で「パーフェクトブルー」や「東京ゴッドファーザーズ」などの作品を発表。文化庁メディア芸術祭大賞受賞の「千年女優」は、全米公開された。

 ベネチアのコンペティション部門に出品された「パプリカ」(筒井康隆さん原作)は、現実と妄想が入り交じった世界を最先端の映像技術で描いて話題を呼んだ。

 最近は、新作アニメ「夢みる機械」の製作に当たっていた。

下面是官方blog上公布的遗书

2010年8月25日(水曜日)
さようなら

忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。

確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、
改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。

宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。
頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。
どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。
「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
病状は確実に進行する日々だった。

一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。
だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、
「ちゃんと死ぬための用意」
にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。
その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。
もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。
無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。

手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。
後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。
「はぁ…やっと死ねる」
なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。
医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。
「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」
聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。
それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。

ということで早速腹はきまった。
私は自宅で死にたい。
周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。
妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。
あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。

妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。
寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。
「死ぬってのも悪くないかもな」
理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。
ただ、一つだけどうしても気に入らない。
「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」
と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。
「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」
こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。
死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。
死ぬのもツライよ。
断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。
ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。
私が暮らしているあの家へ。

少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。
自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。

さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。
ところが。
肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。
ありゃ?
ある意味、こう思った。
「死にそびれたか(笑)」
その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。
不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。
妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。

生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。
エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。
そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。
実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。 インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。

死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。
家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、
監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。

出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。
回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。
それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。

病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。
だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。
顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。
みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。
自分の生きた世界を愛している。
そう思えることそのものが幸せだ。

私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。
その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。
いま死について思うのはこういうこと。
「残念としかいいようがないな」
本当に。

しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。
両親とマッドハウス丸山さんだ。
今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。
遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。
許しを乞いたいような気持ちだった。

自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。
「すいません、こんな姿になってしまいました…」
丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。
感謝の気持ちでいっぱいになった。
怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。
勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。

一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。
映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。
何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。
もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。
そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。
スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。
けれど少しは理解もしてやって欲しい。
だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。
かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。

私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。
丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、
「大丈夫。なんとでもするから心配ない」
とのこと。
泣けた。
もう号泣。
これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。
今回も同じだ。私も進歩がない。
丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。
才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。
何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。
確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。
それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。
今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。

両親に告げるのは本当に切なかった。
本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。
「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」
突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。

それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。
一大決心をして親に会うことにした。
両親だって会いたがっていた。
しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。
私は本当に幸せだった。
ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。
私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。
寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。
「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」
何も言えなかった。

両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。
顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。

ありがとう、お父さん、お母さん。
二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。
数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。
幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。

親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。
特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。

両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。

最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。
あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。
でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。
「私、最後までちゃんと伴走するからね」
その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。
「私の妻はすごいぞ」
今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。
私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。
思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。
けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。
生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。

気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。
最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。
自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。
しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。
深く深く感謝いたしております。

そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。
株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。
本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。
2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。
何から何まで、本当に世話になった。
で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。
そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。
心から頼む。

さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。
世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。

じゃ、お先に。

今 敏

下面是来自kinnsan大师的翻译

再見了。

今年的5月18日,是我忘不了的日子。
這一天,武藏野紅十字醫院心臟內科的醫師作出如下的宣告:
「你是脾臟癌末期,癌細胞已經轉移至全身各處骨頭,最多只能再活半年。」
我跟內人一起聽到這番話。命運實在太過唐突、太過沒有道理,使我們倆幾乎無法
獨力承受。
我平常心裡就在想:
「隨時都有可能會死掉,這也是沒辦法的。」
但這未免太過突然了。

不過,或許真的可以說是有事先徵兆。2~3個月前,我整片背部各處,以及我的腳跟等
部位都出現劇烈疼痛,右腳也使不上力,走路更出現了很大的困難。我有找過針灸師與
整脊師,但狀況並未改善。經過MRI(核磁共振)與PET-CT(正子斷層掃描)等等精密
儀器檢查的結果,就是剛剛那段「只能再活半年」的宣告。
這簡直像是回過神來,死神就站在背後似的,我實在也是束手無策。

宣告後,我與內人一同摸索活下去的辦法。真的是拚了老命。
我們得到了可靠的友人以及無比強力的支援。我拒絕抗癌劑,想要相信與世間普遍觀念
略略不同的世界觀活下去。感覺拒絕「普通」這點,倒還挺有我的風格的。反正多數派
當中也沒有我的容身之處,即使是醫療方面也一樣。同時這次也讓我體認到,現代醫療
的主流派背後,究竟有著什麼樣的機制。
「就在自己選擇的世界觀當中活下去吧!」
可惜,光靠一股氣力是沒有用的,這點跟製作作品時一樣。
病情確實一天天的惡化。

同時我也算是一個社會人,因此平常的我也大約接受了一半的世間普遍世界觀。畢竟我
也會乖乖的繳納稅金。就算不足以自傲,我也夠資格算是日本社會的成員。
所以在與我「活下去」的世界觀作準備的同時,我也打算著手
「替我的死亡作準備」。
雖然完全沒有就緒就是了。
準備之一,就是找來兩個值得信賴的朋友協助,成立一間公司,負責管理今敏微不足道
的著作權。
另外一項準備就是,寫好遺囑好讓我並不算多的財產能順利地讓內人繼承。當然了,我
死後應該是不會發生遺產爭奪戰,但我也想替獨活在世界上的妻子盡可能除去不安,這
樣我才能稍微安心地離開。

各種手續,我與內人都很頭痛的事務處理、事先調查等等,由於超棒的朋友相助,進行
得十分迅速。
後來我併發肺炎的危急情況當中,意識矇矓地在遺囑上簽下最後的名字時,我心裡總算
是覺得:這樣死掉應該也可以了吧。
「唉…總算能死了。」
畢竟在兩天前就被救護車送到武藏野紅十字,過了一天又被救護車送到同一間醫院。也
因此住院作了詳細檢查。檢查結果是併發了肺炎,肺部也有嚴重積水。我跟醫生問了個
究竟,他的回答倒是挺官腔的。就某方面而言,也挺感謝他的。
「頂多只能撐個一兩天……就算熬了過去,最多月底就不行了吧。」
聽著聽著我心想「怎麼講得跟天氣預報一樣…」不過事態確實越來越緊急了。
那是7月7日的事。這年七夕也未免太殘忍了。

所以我很快地下了決定:
我要死在家裡。
或許對我身邊的人而言,最後仍然給他們添了很大的麻煩,好不容易才找到能讓我離開
醫院回到家裡的方法。
一切都多虧了我妻子的努力,醫院那看似放棄卻又真的有幫到我的實際協助,外部醫院
的莫大支援,以及屢屢令人只能認為是「天賜」的偶然,甚至讓我無法相信現實當中的
偶然與必然,竟然能這麼巧合地環環相扣。畢竟這又不是「東京教父」啊。

在我妻子替我設法離開醫院奔走時,我則是對醫生說「就算一天也好、半天也好,只要
我留在家裡就一定還有辦法!」說完後我就一個人留在陰暗的病房內等死。
當時很寂寞,但我心裡想的卻是:
「死或許也不算壞。」
這想法不是出於什麼特別的理由,或許是因為如果不這麼想我就撐不下去了吧,但總之,
當時我的心情是連我自己都非常驚訝的平穩。
只有一天讓我說什麼都無法接受。
「我說什麼都不想死在這種地方……」
此時眼前掛在牆壁上的月曆開始晃動,房間看起來越來越大。
「傷腦筋……怎麼是從月曆裡跑出來接我走呢。我的幻覺真是不夠充滿個性。」
此時我的職業意識仍然在運作,令我忍不住想笑。但此時或許是我最接近「死亡」的一
刻吧。我真正感覺到死亡的逼近。
在「死亡」與床單的包裹之下,加上許多人的盡力而為,我奇蹟似地逃出了武藏野紅十
字,回到自己家中。
死也是很痛苦的。
我先聲明,我並不是批評或是討厭武藏野紅十字醫院,請各位不要誤會。
我只是想要回自己家而已。
回到那個我生活的地方。

有一點讓我略為吃驚。就是當我被送到家中客廳時,居然還附帶了臨死體驗中最常聽到
的體驗:「站在高處看著自己被搬到房間內的模樣」。
大概是站在地面上數公尺的地方,用有點廣角的鏡頭俯瞰著包含著自己的風景。房間中
央的床鋪的四角形,給了我特別大的印象。被裹在床單內的自己,放在那塊四角形上。
感覺並不怎麼小心翼翼,不過也沒什麼好抱怨的。

我本來應該是在家裡等死的。
沒想到。
我似乎是輕輕鬆鬆地翻過了肺炎這難關。
哎呀?
我居然這麼想:
「竟然會沒死成啊(笑)」
後來滿腦子都只有「死」的我,覺得只有一次真正死掉。
在朦朧的意識深處,「reborn」這個詞彙晃動了數次。
不可思議地,第二天起我的氣力再度啟動了。
我覺得這一切,都是我妻子、來探我的病分我一份元氣的那些人、來替我加油的朋友、
醫師、護士、看護等等所有人的功勞。我打從心裡這麼想。

既然活下去的氣力都再度啟動了,我就不能繼續模模糊糊地下去。
我謹記這是多分到的一段壽命,所以我更得好好運用。
同時我也想要至少多還一份人情。
其實我罹患癌症這件事,我只告訴了身邊極少數的人,連我雙親都不知道。特別是這會
替我的工作製造許多麻煩,所以我說也說不出口。
我本來也想上網宣布我得了癌症,每天跟大家報告我剩餘的人生,但因為我擔心今敏即
將死亡這事說來雖小,卻也會造成許多影響,也因此非常對不起身邊的親朋好友。真的
是非常抱歉。

死前,我還想再見許多人一面,跟他們說幾句話。
這段人生當中,我有家人,親戚,從國小國中開始交往的朋友,高中同學,大學認識的
同伴,在漫畫的世界當中結識並交換許多刺激的人們,在動畫的世界中一同工作、一同
喝酒、用同樣的作品刺激彼此的技術、同甘共苦的眾多同伴,由於擔任動畫導演得以認
識的無數人們,以及世界各地願意自稱是我的影迷的許多貴人。還有透過網路認識的朋
友。

如果可以,我還想見很多人一面(當然也有不想見到的人)。但是見了面後,感覺我腦
子裡「我再也見不到這個人了!」的想法會累積得越來越多,讓我沒有辦法乾脆地赴死。
同時即使略為恢復,我所剩的氣力也不多了,要見別人的面需要莫大的決心。越想見面
的人,見到面卻越痛苦,真是太諷刺了。
再加上,由於癌細胞轉移到骨頭上,下半身開始麻痺,我幾乎無法下床。我不想讓別人
看到我瘦成皮包骨的模樣。我希望許許多多的朋友記得的能是那個還充滿元氣的今敏。
不知道我病情的親氣、所有朋友、所有認識的人,我要藉這個場合跟你們道歉。但我真
的很希望你們可以理解今敏的這份任性。
因為今敏本來就是「這樣的傢伙」嘛。
想到你們的臉,我的腦子裡就湧現許多美好的回憶與笑容。
真的非常感謝大家給了我這麼棒的回憶。
我好愛自己生活的這個世界。
這樣的想法,本身就是一種幸福。

在我的人生當中認識的不算少的人們,無論影響是正面或是負面,都是構成「今敏」這
個人的必要成分,我要感謝所有的邂逅。雖然結果是我四十幾歲就早逝了,但我也認為
這是無可取代的我的命運。同時我也有過十分多的美好經驗。
現在我對於死,只有這個想法:
「也只能說遺憾了。」
是真的。

雖然我可以把這麼多的虧欠想成是無可奈何的,並且放棄,還是有件事讓我說什麼都過
意不去。
就是我的雙親,以及MAD HOUSE丸山先生。
一方是今敏的親生父母,另一方則是動畫導演方面的再造父母。
雖然是有點遲了,除了坦白相告,我也沒有其他方法可選。
當時我真的希望獲得原諒。

看到丸山先生來到家裡探望我時,我控制不了我的淚,也控制不了自慚形穢的想法。
「對不起,我居然變成這樣……」
丸山先生什麼話也沒說,只是搖搖頭,握住我的雙手。
讓我的心裡充滿了感激。
能夠跟這位先生一起工作的感激之情,化為無法訴諸言語的歡喜,怒濤般地席捲而來。
這話聽起來或許十分誇張,但我真的只能這麼形容。
或許只是我個人妄想,但我真的覺得有一舉獲得原諒的感覺。

我最放不下的,就是電影「做夢機械」。
電影本身固然如此,所有參與的工作人員也讓我非常的掛心。因為搞不好,一路上含辛
茹苦畫出來的畫面,是非常可能再也無法被任何人看到的。
因為原作、腳本、角色與世界觀的設定、分鏡、印象音樂……等等所有的想法都在今敏
一個人的心中。
當然了,有很多部分也是作畫監督、美術監督等等許多工作人員所共有的,但基本上這
部作品只有今敏知道是在搞什麼,也只有今敏做的出來。如果說會變成這樣全都是今敏
的責任,那我也無話可說;但是我自認我也是付出了不少的努力,希望能跟大家一起分
享這個世界觀的。事到如今,我的不對實在令我椎心刺骨地痛。
我真的覺得很對不起各位工作人員。
但我希望你們稍微理解。
因為今敏就是「這樣的人」,也才有辦法作出濃縮了許多與其他人不一樣成分的動畫。
這說法或許十分傲慢,但請各位看在癌症的面子上就原諒我吧。

我並不是茫然地等死,我也在拼命地絞盡腦汁,好讓今敏亡後作品也能繼續存續。但這
想法也太單純了。
我跟丸山先生提到我對「做夢機械」的掛念,
他只說了:
「放心,我會替你想辦法的,不用擔心。」
我哭了
我真的痛哭了。
過去在製作電影時、在編列預算時,都欠了他不少人情,最後總是丸山先生在替我收拾
善後。
這次也一樣,我一點進步都沒有。
我跟丸山先生有很多時間長壇。也因此,我才稍微實際體會到,今敏的才能與技術在現
在的動畫業界當中是十分珍貴的。
我好惋惜這些才能。我說什麼都想要留下來。
不過既然The MADHOUSE丸山先生都這麼說了,我總算能帶點自信,安心地走了。
確實,不用別人說我也單純地覺得,這怪點子以及細部描寫的技術就這麼消失了真的很
可惜,但也沒辦法了。
我衷心地感謝給了我站在世人面前機會的丸山先生。我真的很感謝你。
以動畫導演身分而言,今敏也夠幸福的了。

告訴雙親時真的非常的痛苦。
其實我也想趁著還能自由行動時,自己前往札幌,跟雙親報告我得了癌症這件事,但病
情惡化的速度實在快得可惡,最後我只能在最接近死亡的病房內,打了通唐突至極的電
話告訴他們。
「我得了脾臟癌,末期了,馬上就會死。能當爸爸媽媽的孩子我真的很幸福。謝謝你們。

突然說出口的話,並沒有醞釀很久,畢竟當時我已經被將死的預感給包圍了。

直到我回到家,好不容易度過肺炎難關時。
我下了很大的決心,才決定與雙親見面。
雙親也很想見我。
見面反倒痛苦,我也沒有氣力見面……但我說什麼都想看看他們的臉。我想當面跟他們
說,我很感謝他們生下我。
我真的很幸福。
雖然說我的生命走的比別人快了一點……這點讓我對妻子、對雙親、對我喜歡的人們都
很不好意思。
他們很快地就回應了我的任性。第二天,我的雙親就從札幌趕到我家。
剛看到我躺在床上,我媽脫口而出的那句話我畢生難忘。
「對不起!我沒有把你生成一個健康的孩子!」
我說不出第二句話。

跟雙親生活的日子並不算長,但已經夠了。
我覺得他們看到我的臉,就能明白一切,事實上也是如此。

謝謝你們,爸爸,媽媽。
能夠以你們兩人的孩子的身分誕生在這個世界上,是無比的幸福。
數不盡的回憶以及感謝,充滿了我的胸膛。
幸福本身也很可貴,但我更感激不盡的是,他們讓我培養出能感受到幸福的能力。
真的很謝謝你們。

早父母一步先走非常不孝,不過這十幾年當中,我以動畫導演的身分充分施展自己的本
領,達成了我的目標,也得到了相當的評價。唯一遺憾的是不算很賣座,但我覺得已經
足以報答他們。
特別是這十幾年來,我的生命密度是別人的好幾倍。這一點我相信雙親跟我一定都知道。

能夠跟雙親與丸山先生直接對話,讓我卸下了肩頭上的重擔。

最後,是比誰都讓我掛念,卻又直到最後都極力支撐我的妻子。
接受醫生的宣告後,我們兩個人對泣數次。這段日子,每天對我們的身心都是煎熬。甚
至無法用言詞形容。
可是,我之所以能夠熬過這些痛苦又無奈的日子,全都是因為醫生的宣告後,妳說的那
番強而有力的話:
「我會陪你走到最後。」
妳這話一點都沒有錯。彷彿是要擺脫我的擔心似的,面對那些怒濤般從各處湧來的要求、
請求,妳整理得井然有序,同時妳一下子就學會了如何照顧自己的丈夫。妳精明幹練的
模樣,讓我非常感動。
「我的妻子好厲害啊!」
都到這個地步就別說這些了?不不,是因為我深切體會到,妳比我一直以來所認為的都
還要厲害。
我相信在我死了以後,妳一定也能很順利地將今敏送走。
回想起來,結婚後我每天都忙著工作工作,現在想想唯一悠閒地待在家裡的日子,就是
罹癌之後,也真是太過分了。
可是,我身旁的妳非常明白,忙於工作的人就是有所才能的人。我真的很幸福,真的。
無論是活著的日子,還是迎接死亡的日子,我對妳的感謝都無法訴盡。謝謝妳。

還有很多事情讓我掛心的,但是一一細數就沒完沒了了。萬事都需要一個結束。
最後,是我想現在應該很難接受的……答應讓我在家裡接受癌末照護的主治醫師H醫師,
以及他的太太護理師K女士,我要對你們致上深深的謝意。
雖然在家裡進行醫療是非常不方便的,但你們仍頑強地替我想出各種方法緩解癌症帶來
的疼痛,在死亡逼近時你們也極力設法讓我過的更舒服一點,這真的幫了我很多。
不光是如此,面對這個不光是麻煩,態度也異常高傲的病患,你們跨越了工作的框框,
用更人性化的方式幫助我們。真不知道該說是你們支撐著我們夫妻,還是拯救了我們。
同時醫師賢伉儷的人品也不時地給了我們鼓勵。
真的非常非常感謝你們。

這篇文章也到了最後了。在5月半知道我壽命所剩無幾時起,不分公私給了我們異乎尋常
的盡力協助以及精神支援的兩位朋友,株式會社KON’STONE的成員、同時也是我高中時
起的好朋友T先生,以及製作人H,我要衷心感謝你們。
真的很感謝你們。從我貧乏的語彙庫當中,很難找出適當的感謝詞,但我們夫妻都深受
你們的照顧。
如果沒有你們倆,我的死恐怕會更加痛苦,同時在一旁照顧我的妻子也恐怕會我吞噬吧。
真的一切都受你們的照顧了。
儘管一直承蒙照顧,但不好意思,能夠請你們協助我的妻子,一直到我死後出殯嗎?
這樣一來,我也能安心地「上飛機」了。
我衷心地拜託你們。

最後,感謝一路閱讀這篇落落長文章的讀者,謝謝你們。
我要懷著對世上所有美好事物的謝意,放下我的筆了。

我就先走一步了。

今 敏

真是一个突如其来的消息,一直到最近几天今敏老师的twitter和blog还都在更新中.区区46岁就英年早逝,实在是天妒英才.今敏老师是现在少数动画电影大师之一,从那个惊艳的[perfect blue]到集大成的[千年女優],以及个人最喜欢的[tokyo godfather],现实与虚幻的交织以及精巧的剧情,还有流畅的镜头和电影般的画面都给我留下了十分美好的回忆.后来的[paprika]和tv动画[妄想代理人]虽然没有取得更多的突破,但也还是十分优秀的作品.对所有热爱动画的人来说,今敏老师的去世都是一个巨大的损失,而他的遗作[夢みる機械]也将成为永远的遗憾了.

愿今敏老师在天之灵能得到安息,那些奇妙的作品将是我们永远的财富

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Treat or Trick

2010/08/23 留下评论

因为1800坏掉于是用很不怎么样的价格买了个山寨5450,换卡不用换驱动倒是挺方便,只是觉得4870实在是有些浪费了.被动散热加上不是公版的刀卡,不过平时基本也够用了,跑3dcustom都很顺畅.说起这个昨天把以前下的那些mod拿来试了试,有一些似乎有点莫名其妙的兼容问题不能共存的,不过一大堆也懒得一个个去收拾了,简而言之就是真棒啊真棒.

Halo Legends

微软系最能卖的游戏的动画.似乎有意模仿之前animatrix的结构,做了八个短篇.前两个讲历史,跟animatrix如出一辙,也同样跟animatrix一样毫无两点.第三个the duel为了掩盖那个粗糙的3d效果而故意加上了一层马赛克,讲的arbiter以前的故事,有它的老婆出场hahaha,太你妈烂了.第四个homecoming,整个一下限,从任何角度来看都不能更傻逼了,就不多说了.第五个odd one out,这里面是不是有鸟山明?太搞笑了,一个傻逼斯巴达到奇怪的外星去遇到了恐龙和塞亚人,以及他们的ai妈妈,亏他想的出这么脑残的玩艺来.第六个prototype,日式2b桥段,中二到最后演变成了战术核弹.第七个babysitter又是小中二,嘛后面这两个作画质量总算是上来了.虽然说是个狙击任务不过整个跟狙击就没什么像样的关系,大boss是一个很sb的锤子兽人,最后日了我们的无口女王斯巴达,这一头飘逸的金色长发哟,少年的眼泪就哗哗的.就这兽人的战斗力我们的约翰大师一路上起码杀了几百上千只居然就把我们的软妹日了啧啧,不过女斯巴达还真是多.最后一个package这才是整个片的重头戏,全3d加上最长的时间,更关键的是我们的主角117号约翰大师总算出场了!不过还是不肯露脸.我们英勇的master chief带着一票斯巴达去救美丽的halsey博士,我记得这好像是小说里有出现过的内容?在便当了一半人之后伟大的士官长终于如愿以偿,并且上演了117跟arbiter的第一次交手,arbiter很有武士风度的给了john一把星盟剑决斗,john当然不是对手,不过arbiter最后还是被2走了,整个决斗的制作质量实在不敢恭维.然后这里面的dr.halsey好软..
整个8部片里ig做的the duel和homecoming完全崩盘,4度的origin和babtsitter以及bones的prototype都只能算是中规中矩,東映的odd one out惨不忍睹,唯一质量尚可的package出自casio之手.恩casio还做动画么..虽然是向animatrix看齐而做的作品,不过质量完全是天壤之别,这个基本上就算半个垃圾,监督没有一个认识的,不懂游戏的看不懂懂游戏的也觉得傻逼.跟animatrix一样整个staff是放在一起的,压制的大师很gj的把每篇分开压然后都塞了一遍那个长长的staff字幕,实在是太蛋疼了.

崖の上のポニョ

ジブリ08年的片,还是宮崎駿老头子全部一手操办.说的是一个海底的莫名其妙的生物莫名其妙上岸跟一个小鬼搞上最后变成人的故事,比起ghibli之前的作品更乱七八糟了.整个片子不知道在说啥,设定也莫名其妙,有奇怪的在海底的男人和他跟神仙一样的老婆,最后演变成一个美人鱼故事,5岁的小屁孩主角做出"永远喜欢你"的承诺以后可以三段变身的不明生物终于成为了放不了魔法的幼女.所有的人物都有一副处变不惊的超级本事,对付十几米乃至几十米高的巨浪和各种奇怪的生物所有的船只也都无所畏惧.画面充满了各种让人摸不着头脑的元素,即使很艺术也不是什么我可以欣赏的了的东西.鸡不力的作品似乎有越发低龄化或者说弱智化的趋势,ナウシカ不管怎么说都可以算是一个挺有深度的片子,到了后来虽然老少皆宜也不乏一些深沉而浪漫的元素.而这次这个玩艺很难让人想象其对象年龄居然可以包括10岁以上,或许宮崎老头子的下一作可以成为一个出色的胎教片.

Gladiator

奥斯卡的大赢家角斗士,拿出来重温了一下.这个是我在厦门看的第一个片,当时晚上11点多第一次来到现在住的地方,就在客厅看这玩艺看到后半夜,虽然那时候我甚至都还没有搬到这里来.制作优秀的大手笔,场面非常好看,人物也很帅,我太喜欢那个毛皮的斗篷了.剧情多少有些莫名其妙,到处充满了没下限的傻子和各种都合,不过说到底观众还是冲着场面戏去的,动作片就是要像这样高潮迭起才给劲.结局实在有点虎头蛇尾的感觉,把一个史诗片硬生生变成了单纯复仇剧,实在有些可惜.

The Prestige

讲魔术师的片.帅哥主角一看很眼熟才想起来就是那个batman,他老婆好像是那个holmes里的女人,另外一对狗男女也很眼熟不过想不起来是谁了..所谓理想的trick当然是简单而出乎意料,然而为了达成这个简单而又出人意料的陷阱所付出的代价也是巨大的,这片子很好的诠释了这一点.两位魔术师的演技恰到好处,助手的胸部也很大,但最让人感到惊奇的还是传说中的黑历史科学狂人tesla大师居然出现了,还造出了看起来很普通却充满科幻感的超级装置.剧情里各种各样的trick接踵而至,魔术与现实的界限也越发变得模糊,再加上尔虞我诈与感情纠葛,让整个片子充满了吸引力.很多简单的东西我们不愿去相信,要把自己囚禁在自己思维的牢笼里,魔术师也好tesla也好,乃至没有露脸的爱迪生也好,都是这样着了魔的受害者,魔术也好科学也好在表面的光鲜下都充满了残酷,结局残忍而沉重.讲魔术的片子似乎不多来着?这个无疑十分优秀.

离开学不到十天了,又是一个多月的一事无成.

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夜勤病棟

2010/08/17 留下评论

现在每天的日常就是滚去医院陪护.虽然基本上没事可干,但世界上没有比无聊更累人的事了.昨天倒掉了某亲戚在家里留下的已经放了半个星期的3.5斤稀饭,半夜3点半又有另一个亲戚跑来探病.毫无艺术细胞又自命不凡的人拿着近万元的单反大谈器材与技术,然后还要卖弄以下自己的见多识广,顺便每人都给那么一点人生指导.这个世界怎么就那么tmd傻逼.

Clayton Rawson <The Great Merlini>

魔术师侦探的短篇集.其实我不喜欢看短篇..单纯又简单的trick,其中有好些挺有意思的,不过更多的一下子就能猜出来.故弄玄虚的成分很重,嘛魔术师就是这种玩意.

The Bourne Identity
The Bourne Supremacy
The Bourne Ultimatum

谍影重重三部曲.应该不会有第四部了吧..特工主角执行了个啥任务就失忆了,让人想起成龙来.男主角神通广大无往不利,把cia搅的天翻地覆,怎么看都让人觉得cia是个弱智到极点的傻逼组织.几个结局都继承了美国特色的毫无意义的光荣传统,莫名其妙的坏人和莫名其妙的人性关怀以及无所不能的主角.作为干净利落的动作片摇晃不止的镜头让整个演出显得很凌乱,但更主要的是,整个三作里面出现的女人都太他妈的丑了.

Speed and Angels

大概是一个纪录片,给猫猫招魂的.大概就是有那么一些训练里猫猫跟f5的狗斗加上全天候的航母起降镜头,加上身为最后一批tomcat pilot的一对狗男女的生活,最后这两人改开超级虫子去了.最可恶的是没有中文字幕..只能看看热闹了.

V for Vendetta

恐怖分子的故事.背景多少又让人想起1984了,然而这个元首化的英国佬无疑要蠢的多.作为幻想性质的东西又刻意加上了一堆现实的因素,于是就给人一种很做作的不伦不类的感觉,加上一些想当然的桥段让人一身鸡皮疙瘩,整个都给人一种层次很低的感觉.男主角从头到尾不露脸,大概也没什么人想看他的脸,整个造型给人一种身材不太好的感觉,长的还不错的女主角头发还给剃光了.不给力阿.

Kick Ass

人民的超级英雄.HitGirl太萌了,不能说长的很漂亮,不过真的太萌了.剧情和演出都走的欢乐搞笑路线,暴力看起来却像是来真格的,整个都有一种乱七八糟的很好玩的感觉,各种装逼的效果也恰到好处.刚开始有那么点亚洲式励志的感觉,到了后面还是玩世不恭的大乱斗,加上欢笑与泪水,最后皆大欢喜.虽然hitgirl紫色的短发配上眼罩和歌子群很棒,但最好的果然还是在朝阳中展示出金色双马尾的那一刻阿!
我可以等.我发誓.我会把我的第一次留给她.

天天都没有一餐像样的饭可以吃,鼻炎弄的人很烦躁.垃圾桶里堆满了粘糊糊的面巾纸ry.

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Expo2010

2010/08/09 留下评论

嘛,总是得写一下.

在十天的上海行程里只有3天用在了sb会上,然而这无疑是这次出行的重中之重.感谢大王提供免费的住宿,不过我忘了件衣服在那里想想真是orz.

除去第一天试探性的参观,另外两天就去sb会的人来说可以说收获不小,当然也托了40度烈日以及30万观众的福.不过回想起父母5月3号去sb会的15万人还是觉得很蛋疼.

中国馆
第二天早上快六点开始在5号门排队结果拿到了最后几张预约卷,第三天7点到4号门结果意外的又拿了一张.于是现在可以自豪地把预约卷拿出来显摆了hahaha.
虽然红色有角三倍速的有明中心看起来很大,不过进去以后还是觉得空荡荡的.开始的电影不错,动态的清明上河图也很亮,到了后来就有点虎头蛇尾的感觉.总结起来很简单:到了sb会怎么能不去中国馆呢?

日本馆
很有诚意.第三天早上一进门就直奔日本馆,还是排了一个多小时队.一开始看展览,后来就是一群人站着等顺便看点宣传片,然后进去看火星科技的相机以及机器人拉小提琴,我不知道应该说是幸运还是不幸的上镜了hahaha.后来还有一个舞台剧表演,一个男人一个女人以及一个小孩,唱歌似乎是现场演出的,顺便展示了下toyota的高科技轮椅.整个馆的主题是个濒临灭绝的叫朱鹮的鸟,象征环保和中日友谊什么的,有山寨的natal和效果非常好的松下平板电视,每人还送个扇子.里面的妹子都是日本人,算不上很漂亮不过很客气,让人感觉比较舒服.在馆里呆了整整60分钟,排队也算值了,如果不是白天去就没有后面那40分钟的节目看了.

沙特馆
sb会最大的骗局.很热门,早上的队伍老长,到了下午看没什么人就去排了,到出来一共用了三小时.说是有个什么最大的imax屏幕,其实也就是那么回事,主要是放的片子的内容不知所云.除了这个以外就没别的东西了,爬楼爬上去再爬下来,排两个小时的队让人觉得很亏.

台湾馆
第二天早上本来准备去沙特的,结果队伍一直排到了台湾门口,于是直接去排队拿预约卷了.场馆虽然很小不过内容丰富,有美女有帅哥,台妹实在太软了.先到球里看个环幕电影,虽然3d本身比较粗糙不过效果意外的非常不错,还有下雨什么的.然后到球外面放灯,还让我们放了两个,其实没什么大不了的..最后到下面给大家喝高山茶,看电音三太子的表演.除去的时候还送礼物,喝茶的杯子,奶茶,一个莫名其妙的喷雾剂,还有一包面巾纸.很棒,节目丰富而有意思,妹子很软.

德国馆
第三天下午去硬排的,两小时进去了.排队的时候有三个德国人在那rap,说的话没有一个词听得懂的.到里面跟德国人留影,看世界第一的制造业大国炫耀他们的产品,那个写着ie8的台子上放了3个hd800..最后有一个室内活动,从一进馆就贯穿其中的一个德国男人和一个中国妹子现身了,当然跟照片里的显然不是同一对人.中间有个大球,说什么根据观众发出的声音会动啥的,其实只是演出而已,不过气氛倒挺热烈,听小孩子喊的我耳朵都受不了.总之里面的内容很丰富,千万别被长长的队伍吓倒.

美国馆
没什么人.整个就是看三个片,第一个有个很肥的莫名其妙的女人在那主持,片子就是让一些美国人说中文,大概有那么些亲切或者滑稽的效果.第二个是什么希拉里阿奥巴马阿以及一群小孩子什么的来宣扬普世价值,三面大屏幕,没什么太大印象了.第三个是个小女孩种花,然后感染了周围的人,最后美化了城市什么的,这个很不错.5块不规则的屏幕以及四周的投影,下雨用水也比台湾馆潇洒的多.看片都是标准电影院一样的大空间,还有地方坐,对于在sb会累了一天的人来说很体贴.

澳大利亚馆
去的第一个大馆,很有诚意.里面一股红土气息,绕着边上转上去看澳大利亚的历史故事,然后看一个电影,三块升降环形屏幕以及中间的升降舞台,效果很不错.出来以后还看到一个ikemen在上面很潇洒的弹吉它.人算不上多,建议早去开胃.

意大利馆
不愧是面条国,里面到处是面条.从罗马式的建筑里走进去,看意大利特产汽车面条高跟鞋,然后到大厅里有巨大的模特,墙上放的乐器也有点创意.里面还能看到三个意大利大妈在那编皮草.还有一些独特的小房间,里面有各种裸男什么的.时间比较紧也没细看,转了一圈就出来了.

加拿大馆
去的比较匆忙,很大的馆晚上空荡荡的没人挺吓人的.大概就是在那吹自己国家怎么怎么好,没什么实际内容.

巴勒斯坦/以色列馆
分了两天分别去这两个,目的就是把它们的章盖到同一页上面去.巴勒斯坦馆非常惨,在亚洲联合馆一个小角落,一进去是巨大的阿拉法特像.另外一边陈列了一些莫名其妙的东西,什么耶稣像圣母像的,边上介绍还很自豪的称耶稣是巴勒斯坦人.相比起来包皮国实在太阔气了,一开始展示一堆乱七八糟的东西,其实跟以色列没什么关系,说的都是犹太人.虽然犹太人或多或少统治着世界,不过能拿出来的似乎就一个爱因斯坦.然后到里面看个片,简单来说就是吹,还说什么我们现在用的东西都是以色列创造啥的.小小的一个耶路撒冷,天壤之别啊天壤之别.对比一下阔绰的沙特,阿拉伯人真应该团结起来.

非洲/太平洋/亚洲联合馆
非洲就去了这一个,时间又晚,结果就是什么都没看到.太平洋也没什么内容,为了盖章的可以去去,不然就算了吧.亚洲的有好几个,每个都要分别排队,不过没什么内容,不如不去.

印度尼西亚/柬埔寨/菲律宾/尼泊尔/斯里兰卡馆
前面三个有表演,唱歌跳舞什么的,可以看看.印尼有几个妹子质量不错.其它就没什么了.尼泊尔这种莫名其妙的国家居然也有钱弄个独立馆?

巴基斯坦馆
去的时候印度不知道为啥没开.巴基斯坦就一安分守己的天朝小弟,整个里面都在说中巴友谊,那个友谊芒果笑死我了哈哈哈哈哈哈哈哈哈,加上边上一大堆什么工农兵阿毛主席万寿无疆阿什么的特别喜感.除此以外就没别的了.

巴西/墨西哥馆
巴西其实不错,不过是最后一个去的,看过之前其他的看这个就没什么意思了.有大屏幕放片,不过主题看不大出来,就介绍什么的,还有一个给人换装的.墨西哥就一地下室,里面没什么东西.

土耳其/新西兰馆
土耳其一进去面对的就一大龟头,主题是什么远古文明,没什么意思.新西兰进去就给你一个大玉石摸,说是镇馆之宝.里面内容不多,不过很温馨,适合心静的时候进去看.出来还有一个花园一样的地方可以转转,不过树好像是假的.

比利时-欧盟馆
很大.进去分一个饼干吃,其实不怎么好吃.主题就是说比利时是欧洲的心脏什么的,没啥内容.最后卖钻石和巧克力,没有什么是外面买不到的.

摩纳哥/塞尔维亚/卢森堡/爱尔兰/瑞典/丹麦/芬兰/荷兰/捷克/乌克兰/希腊馆
摩纳哥很不错,先看一个小剧场,从上古神话到摩纳哥建国,抵御英格兰人的入侵,到最后幻想一千年以后,质量很好.然后看展览,先是摩纳哥王室然后是著名的f1赛道.有Grace Kelly和他男人穿过的衣服.瑞典讲斯德哥尔摩环境的变化还可以,丹麦盖章的女人穿个写了个美人鱼的围裙,你怎么不直接穿个鱼尾巴呢.荷兰就是走一遍,有个悬空的大石头.其它全是打酱油的,没一点像样的东西.

日本产业馆
一进去看很多小电视组成的几面电视墙,编排的不错,内容丰富的让人无处着眼的感觉.然后去看电影,一开始一个小小的超级烂的介绍片让人几乎吐血,然后屏幕移开开始播正片,耳目一新,有肛蛋阿akb48阿ハルヒ阿ミク阿im@s阿什么的,很好看.然后就是看8个单独的广告片,有点莫名其妙的感觉,很多都不知道他是做啥的.有个青花瓷的看起来还很有风韵,结果都是便器.最后是著名电波酱油企业kikkoman.也算是有一点礼物,一个袋子,一个3d眼镜(还说了倒外面没用),好像没了.

城市人/城市地球馆
主题馆就去了这两个,空间很大很大走的累的要死.城市人说几个不同地方的家庭的生活,城市地球从金木水火土说地球的环境问题.做的挺不错的,好像是什么外国人设计的,不过的花时间慢慢去看,估计肯在里面花时间的人不多,反正我看空荡荡的.不过剩下几个要排队的也没去,走起来太累了.

震旦馆
我也不知道怎么脑残就走进去了,大概大家都对震旦这个词好奇又都不知道是干嘛的.一开始放非常sb的女娲补天的电影,然后卖玉.太sb了.

大概就去了这么些,可能有漏的懒得补了.当然两天半时间要去转全是不可能的,该转的地方也转的差不多了.很累,不到sb会不知道何为排队.去的几天都是40度高温加上暴雨.排队也是一个宝贵的人生经历,可以看到各种各样的人各种各样的事,跟各种各样的人搭讪,其中排台湾的时候遇到两个很有意思的青岛人,排德国的时候又见到公众露出的小正太,还有个老想着往前挤而不得一脸郁闷的小鬼.很多老人去这种地方根本是折磨,就算为了一个绿色通道也划不来,而带小孩子根本就是给自己找罪受.千辛万苦以还算凑合的价格卖掉了那三张票,我的耻力已经突破了新的极限hahaha.

就这样.去了毫不后悔,就算没去也谈不上什么遗憾,要说收获也很微妙.人生はそういうもんからtoka.

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BraveHeart

2010/08/01 1条评论

临时决定来上海好不容易今天才有机会休息一下,坐在大客厅里吹空调看着外面的炎炎烈日这感觉真是ry.

sb会去了一天感觉人没有想象的多,倒是cj才真正让人体会了人流的可怕.传说中的某人走着走着突然就消失了,一起去的同学到处勾搭妹子,结果我一个人在人堆里看了一天iem要去拿个挂逼和月亮的签名还一走到面前他就滚了这也太惨了orz.然后去苏州看了看拙政园,整个一青奸圣地啊啊啊真是太棒了.

10天时间似乎很长却已经过去不少了,慢慢熬吧.

BraveHeart

这是个经典的民族主义片.商业气息很浓厚,还有主角用他的英雄美丽ntr了漂亮的太子妃什么的.英国佬打起仗来就像是群殴过家家,几百个人就能打一场大战了,野战和攻城都形同儿戏.进程全在意料之中,包括最后主角高呼自由,一下子把片子从民族主义上升到了自由高度,很有一种幌子的意味.这种阶级斗争总是在内部被分裂瓦解,理想和热血也被残酷的现实消磨,只剩下一个符号化的英雄图腾.然而一切所谓反抗压迫和争取自由的形象总是让人肃然起敬的,这里面还很有一些肾上腺激素的作用在里面,让人热血沸腾又感动涕零.然而到现在苏格兰依然是大不列颠的一分子,连同联合王国里那些不争气的其他成员一起,徒然留下曾经日不落帝国的一副丑恶嘴脸,只剩下电影本身无可挑剔的精彩.
每个人都会死,但不是每个人都真正活过.

The Shawshank Redemption

我一直到看完整个片子还在思考"肖申克究竟是谁"这个问题,到后来才知道这原来是那个监狱的名字orz.
整个片子充满了浓厚的Stephen King气息,虽然这家伙的书我看得寥寥无几.成熟的手法加上纯熟的表演成就了这个imdb的最高分,要说是比较现实主义一些的文艺片似乎值得商榷,这里处处充满了理想主义的色彩,直到最后的那个happy end.这里着力表现人间的温情和对自由的追求与对希望的坚守,阴暗的东西最后也没有什么好下场,虽然一些悲伤和无奈贯穿始终,但整体的基调还是温暖的.比起斗士们整天不停的嚷嚷,似乎爸爸最推崇的还是体制外的人文关怀嘛,脸还是不打了.
最为imdb第一虽然不能定论说是什么实至名归,但起码它的精彩不会让人失望.人生可以归结为一种简单的选择:忙着去活,或者忙着去死.

托同学的福传说中的<独唱团>看了一半,没看出什么大不了的东西,倒是看到擦主席的画感到很怀念,然后就是在他的画里看到了k神,虽然还是不知所云.这不知所云似乎就是整本杂志的主旋律,其中很大一部分文字本身就非常拙劣.文艺色彩反正看不懂,战斗气息也显得扭扭捏捏,里面林少华跑出来瞎掰的那一段膜拜式的文字更是不伦不类,大概<1Q84>换了个出版社和译者让他觉得很痛苦吧.从piao那篇开始似乎质量上有了那么一点向上的趋势,看完再说吧.

下午去上海博物馆.最后上个cj的图,临走的时候拍的.

P1040729

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